やねの日記

日々の出来事や思ったことを綴るブログです。

なぜ似顔絵を描くのが苦手なのか

久々の投稿なのに、ちょっとネガティブな話になりそうです。

 

絵を描くのが好きで、ゲームや漫画のキャラクターを描いたり、オリジナルキャラを描いたり、俳優やモデルの写真を模写したり…と色々するのですが、似顔絵を描くのが苦手なんですよね。

 

絵を描くのが好きというと、似顔絵描いて!という話になりがちですが、どうも苦手で…頼まれたらそれに応えたいという気持ちはあるんですけど、なんか苦しくなっちゃうんですよね。ずっと似せて描けないからやだ、下手だからやだ、と思っていたんですが、最近、もっと根本的に私は似顔絵が向いてない、ということに気づきました。

 

絵がちゃんと上手くなりたい!と思ったきっかけはすごく単純で、少女マンガに出てくるイケメンを見て、「私もイケメンを自分で描けるようになりたい!」でした。でもそれは一つの目標であって、私が絵を描くのが好きなのは、絵では曖昧にものを言えること、が大きいんです。自分が好きだなー、と思ったものを言葉でどう好きか、と誰にでも分かるようにはっきり表すのではなく、絵でこっそり表現することで、同士に分かってもらいたい、自己満足したい、そういう思いがあります。

 

例えばこの前芸能人の写真模写をしたのですが、模写は見たままを描くものなので、基本的には誰が描いても似たようなものが完成しますよね。それでも私は自分なりに「この目力を表現したい…!」という気持ちで模写していました。そういう気持ちで描いたことは、きっと多くの人には伝わらなくて、好感を持ってくれたとしてもそれは「似てる!」とか「上手い!」とかそういう感心だと思うんですよね。でももしかしたら、大勢の人のうちの一人に、私と同じように「目力すごい…!」と感動してくれる人がいるかもしれません。この、共感してくれる一部の人だけに伝わりそうな曖昧な部分が、私にとって絵が表現ツールとして丁度良いと思うポイントです。絵では、言葉よりちょっとだけ表現に無責任で、自由でいられると思っています。

 

最近目にした米津玄師さんのインタビュー記事でもこんなことを言っていたと思うのですが、言葉は人によって捉え方が違って勘違いを生んだり、誰かにとっては褒め言葉でも、また別の誰かにとっては傷つく言葉になったりします。私は自分のことを、言葉を選ぶのが下手な人間だと思っているし、それで人を傷つけたかもとすぐ後悔するし、他人に言われた言葉にも傷つきやすいです。だから言葉で自分の内側を表現することに抵抗がある部分もあって、それで絵という手段で表現して満足する、ということもあります。

 

ここまで色々と書いてきましたが、本題に戻ると。

絵を描くのが好きなのに、どうして似顔絵を描くのが苦手なのか。

それは、似顔絵は私が絵に感じている表現ツールとしての魅力と、似顔絵の特性というのがかけ離れていることにあるんじゃないかと気が付きました。伝わる人にだけ伝われ!という気持ちで描きたい私の気持ちに反して、似顔絵とは、あなたの顔はこのパーツがこうで、ここのパーツがこうなっているよ!あなたの雰囲気はこう!ということを、場合によっては言葉よりも強く相手に伝える行為であると感じます。絵で描くことで誰も傷つけたくない自分にとって、自分の感じたことをダイレクトに伝えなければならない似顔絵を描くのは苦しいです。相手の顔の特徴を強く描いて、私は良いと思っていても、相手は不快に感じたら?それが怖くて、似顔絵を描くときにはすごく悩みます。

 

それでも、やっぱり自分が好きだと思う人に頼まれるのは嬉しい気持ちもありますし、頑張ってでも描きたいと思います。好きな人だからこそ傷つけたくないですが、好きな人だったらきっと素敵に描けると信じたいです。だからどうしても似顔絵を描くときは、苦手でも精一杯、この好きな気持ちを詰めて表現しよう、と思って描きます。

 

取り留めもない気持ちを書いてしまいましたが、最後に。私にはよくある似顔絵のような表現は難しいですが、今後もまた似顔絵を頼まれるような機会があれば、たとえそんなに似てなかったとしても、その人の好きなところを詰め込んだ似顔絵を描けたらいいな、なんて思います。